東京部会のコラム

 ■自己紹介・回顧 

平成23年4月、それまでの「東京須佐史談会」を発展的に解散して、同じ顔ぶれで新たに「須佐郷土史研究会 東京部会」 として再発足することになりました。会員の高齢化が進む中で、須佐と首都圏とが一体になって「須佐郷土史研究会」の活動を維持発展させようと誓いました。 爰に至るまでのまでの首都圏での活動を回顧すると次のようになります。

郷里、長門の國須佐・弥富という益田家中の近世がどのようであったかは、残念ながら萩のそれと較べほとんど世に知られていません 。巷間、手にする資料もとても少ない状況です。こうしたことから「まづ手持ちの関係資料を持ち寄って解読しながら意見交換から始めよう」と平成9年の菖蒲月、 とっくに初老を過ぎた6人が新宿「今半」に集まったのが嚆矢です。初回に、今は亡くなられた会員が「昔、先達がここ東京で須佐史談会を開いていた」と言われたことから 「東京須佐史談会」の名称を踏襲しました。

萩市に併合される前の旧須佐町では、須佐郷土史研究会「温故」という 須佐地区の近世史の研究成果を機関誌として刊行していて、「東京須佐史談会」も緊密な連携のもとに幕藩体制時代の村の歴史を学ぶことにしました。

会員数は十数名です。須佐に生まれながら郷里の歴史を余り知らなかったと勉強に励む人達、中には、早い時期から古文書の解読に取組み高い読解力のレベルの人々、 豊かなIT知識で会の運営に貢献する人など色々ですが、最近に至り専門的な大学若手研究員の方の参加もあり一段と活動が充実し活発化しています。

最初はまだ仕事を抱える会員も多く、月例会は3ヶ月に1回でしたが、現在は月に1回都心の会場に 集まって勉強しています。平成19年12月に月例会が第100回を数えた事を記念して、平成20年9月会員打ち揃って須佐へ帰省し須佐郷土史研究会の皆さんと 交流を深めました。平成25年(2013)末現在で月例会は159回を数えています。ネット時代を迎え、須佐・首都圏の協働は「温故」の共同編集や、須佐市中再見図を電子化する 共同プロジェクトを推進中で、須佐部会と東京部会にはお互いの地理的な距離感はありません。

また、平成18年7月このホームページを立ち上げ、私たちの研究成果を発表したところ、各方面から高い評価を頂きました。アクセス件数は毎月約300件に及んでいます。 私たちは学者・研究者の研究所ではなく、同好会ですから間違いを恐れないず、スピードの早い大胆な挑戦が可能です。この特色を活かして、今後とも眠っている資料を発掘し、 長州藩永代家老益田家采邑の地須佐の文化や歴史をもっと掘り下げたいと願いながら活動を続けています。

 ■主な研究成果 

 ◇「随行日記」 

これは元治元年(1864)、益田親施が兵600を率いて上京し「蛤御門の変」の戦に敗れて帰国、その責任を負わされた三家老の一人として切腹するに至るまでの経過を当時益田軍の陣場奉行であった波田与市が 書き記した日記です。東京須佐史談会が最初に発表した研究成果で、須佐町教育委員会(当時)のご支援によって須佐町郷土史研究会の機関誌「温故」第18号として発刊されました。ここにHP版として復刻し 皆様のご高覧に供したいと思います。

 ◇「回天実記」

「回天実記」は須佐内訌事件の中心人物の一人でありながら未成年であったために辛うじて死一等を免ぜられた津田公輔とその同志が明治初年に編纂した「須佐内訌事件」前後の記録です。この文書の原本は 京都大学付属図書館 旧尊攘堂 維新史料文庫と山口県文書館の双方に所蔵されています。須佐郷土史研究会では機関誌「温故」第2号から第6号にかけてその全文の解読文を連載しました。しかし、それは須佐に 伝わる昭和6年の写本に基づく解読文であることと、限られた発行部数故に余りにも知られていない事に鑑みて、東京須佐史談会では京都大学と山口文書館の双方から原本の写しを取り寄せて 「尊攘堂本」を底本として改めて解読を進めました。その成果をこのHP上に発表して皆様のご高覧に供したいと思います。「随行日記」の続編として読めば、蛤御門の変から長州征伐、戊辰戦争へと 激動する歴史の流れの中で益田家中がどのように時代を生き抜いたかがよく分かります。

 ◇「月番日記」

これは安政二乙卯8月から明治2己巳11月までの間の長州藩永代家老益田家中の月番が書き記した記録です。幕末8・18政変、蛤御門の変、益田親施切腹、須佐内訌事件と大きく揺れ動いた時期の 益田家中の日々の動きが記されていて大変貴重な資料です。平成年3年12月、我々の主力メンバーである城一定、昭人兄弟の手によって解読され「温故」第10号として発表されましたが、それをこのHP上で復刻し 大勢の皆様にご覧頂きたいと思っています。

 ◇「増野家文書」

元横屋町増野家には多数の武家方の文書が伝えられています。親族の栗山半左衛門関係文書と併せ1000点に迫る貴重なものです。益田家中の記録の写しの外に・書簡・兵書・日記・祝儀不祝儀記録・ 絵図などが含まれていて、幕末須佐に於ける政治、社会、文化など各方面での益田家中の様子を窺い知ることが出来ます。東京須佐史談会ではこれらの文書を電子化して公開する準備を進めています。 これらの文書の内から毎月幾つかの文書を読解してHP上で発表しています。須佐・弥富の旧家には増野家の外にも地方(じかた)、町方の文書を含めて先祖伝来の大切な文書が秘蔵されているものと思われます。 是非、それらを公開して頂きたいと存じます。

 ◇「須佐諸家家系図」

益田家本家や萩の分家(2家)、問田益田家の家系図は既に出版物となっています。しかし、その他の数多くの分家や須佐の旧家の家系図は不明で、中には家系が断絶して調査不能となっている家筋もあります。 最近は個人情報保護の壁が立ちはだかり、仲々難しい問題を孕んでいますが、現存する世代まででなくてもせめて幕末や明治の頃までの家系が判ればどれほど郷土の歴史を解明するのに役立つでしょうか。数少ない 手がかりを探りながら、判る範囲で調べた結果を発表したいと思います。

 ◇「長門金匱」

会員の一人が偶然古書店で見つけた磯辺権左衛門という人物が写本した「長門金匱」4部作(長門金匱、秘笈灞城古実記、嶋榛古実記、萩古実記未定之覚)を読解しました。これは村田峯次郎が明治24年に刊行した 「長周叢書」の中に収められている「長門金匱」とほぼ同一の内容です。村田が紹介文で述べたように、明の陳元贇<チン・ゲンイン1587〜1671)>が元和年中萩に来て 萩の盛況を嘆賞し、 毛利輝元に「長門国誌」を献呈しました。これは中国語ですが、それに「長門金匱」が付いています。そして「萩古実未定之覚」はその続きになっています。萩の故実を勉強する上では必読の文書だと思います。 なお、「長門金匱」の原本は存在しません。「長周叢書」も幾つかの写本を烏田貫通(智庵)が編集したものです。その読解文は国会図書館からネットで公開されています。

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 ■東京大学史料編纂室所蔵「益田家文書」について 

東京大学史料編纂室に「益田家文書」が所蔵されています。鎌倉時代から明治・大正に至るまでの16,000点もの厖大な史料です。同史料編纂所が所蔵する大規模文書の一つで山陰地方の史料としては質・量ともに随一の史料です。 その概要は、これまで1979年山口県教育委員会が作成した「益田家歴史史料目録」によって知られていましたが、東大が所蔵する近世〜江戸時代の文書9,000点と益田家御所蔵から寄託された近世〜近代文書6,000点を含めた 文書全体の調査・整理が2003年以来東大史料編纂所の手によって進められています。

史料編纂所所蔵分のうち、中世文書と近世文書の一部1,267点は江戸時代に117軸、番外8軸、合計125軸の巻子に装丁されて保存されていました。また、この部分の写しである「益田家什書」があり、研究などには原本ではなく 専らこの写本の方が利用されていました。

これまでに、上記の巻子に装丁されている什書分のうち822点が「大日本古文書 益田家文書」1〜3として東大出版会から刊行されています。また、什書分はすべて写真撮影が済んでおり、そのデジタル画像データがWEB上で 公開されています。また、近世文書も既に可成りの部分の写真撮影が済んでおり、逐次公開される予定になっています。

WEBで東京大学史料編纂室所蔵「益田家文書」にアクセスする方法は次の通りです。
(1)先ず、東京大学史料編纂所データベースをクリックしてください。(開いたら直ぐにこれを貴方の"お気に入り"に登録しましょう)
(2)開いた頁の下の方に「データーベースの選択画面」と書かれています。ここをクリックします
(3)現れた画面の「史料の所在」の中から「所蔵史料目録DB」を選択します
(4)画面上の方の緑色の帯(メニュー)から「項目検索」を選びます
(5)画面下半分の表の「貴重書」の中にある「特殊蒐書」の頭に付いている箱をクリックしすると「V」字が入ります。そうしておいてその右側の窓の右端に付いている▼(プルダウンメニュー)をクリックすると一覧表が現れますから、 その中から「益田家文書」を選びます。そうしてその画面の中の「検索」をクリックします。

 ■お知らせ 

毎月1回(原則として第4日曜日)例会を開いています。その年間日程、次回例会の日取り、時間、会場、議題などはこちらをご覧下さい。 → クリックしてください

 ■史談会のあゆみ

平成19年度から、毎月の例会での討論や議事の内容を記録することにしました。
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 ■写 真

月例会や旅行の記念写真です。 →こちらをごクリックして下さい。
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