須佐短信

『年末の須佐駅夜景』

2007年1月1日
萩市須佐総合事務所 地域振興課
中島 裕司
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皆様、いかがお過ごしでしょうか?
須佐では、寒波が押し寄せた12月11日(月)に初雪を観測しました。
クリスマスシーズンに入り、須佐駅では、イルミネーションを華やかに
点灯し、サンタさんがやってくるのを楽しみに待っています。

写真は、12月7日(木)にクリスマスイルミネーション点灯式での光景です。
この日は、おしるこの無料サービスやよさこい踊りで賑わいました。

2007年1月1日掲載

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この駅頭広場の追憶! 日中戦争から太平洋戦争にかけて、この広場は度々大勢の町民の熱気に包まれました。 「君はァー コノタビィー 名誉ノォ・・」長身で堂々たる体躯の津田五百名町長が、抑揚の効いた声で祝辞を述べます。 目の前には横一列に並んだ応召する兵隊さんたちが、緊張した面持ちで直立不動の姿勢でいます。周辺をわれわれ育英尋常高等小学校の児童がぐるりと囲み、 そのすぐ後ろには日の丸の小旗を手にした大日本婦人会のお母さん方、やや年配の在郷軍人会の日焼けした顔と顔、さらに老若の町民の群れ・・。 駅舎前には相撲の幟に似た幟旗が数本、「祝出征 ○○○君」がひらめいています、兵士代表の応答が終わると、町長さんの音頭で万歳が三唱され、紅潮した兵士が次々と列車に乗り込みます。 混雑と喚声のホームを避けて駅柵に寄りかかる。目の前を、車窓に半身を乗り出した出征兵士が手を振りながら次々と消えて行きます・・。
脳裏に浮かぶこうした風景も夜のとばりに吸い込まれ、記憶も薄れてきました。

                                   増野  亮


須佐もクリスマスのお祝いですか。イルミネーションも「いか」が主役で「ミコト君&コウテイ様」はこたつの中ですか。見えませんなぁ。
子どもの頃はクリスマスなんて聞いたこともなかった、もっとも戦中戦後ですから。もう雪も降ったとか。たしかにこの時期は雪が難儀でした。 義姉の話では、弟が通う萩中の3学期が始まる日には、朝早く起きて腰まである大雪の金山谷の道を須佐駅まで一緒に歩く。そしてまた一人で帰ってくる。泣きながら帰って来る。 人に出会うことはない。距離にして3里だが標高差300米、弥富村の雪は深い。子どもの正月の楽しみは家の中にはない。畳1枚の大きさのソリを作って10人も乗って坂道を滑り降りる。 わざと下のたんぼに落ちるようにする。怪我をする者はいない。年齢差が10あろうとも一緒に遊んだ。いじめなどあろうはずもない。いまは学校がなくなった。

                                    城一 昭人

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