須佐の歴史年表

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須佐の歴史が記録として残されるようになったのは、中世になって関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元が防長2カ国に押し込められ、 これに従った益田元祥が益田を去って須佐に移住したとき(慶長5年11月27日)以降のことです。中世以前の須佐町の歴史に関する資料は極めて乏しいのです。

そこで私たち東京須佐史談会では慶長5年を境にして慶長5年以前は益田(島根県)にあった時代の益田氏の動向を中心に年表を作成し、 慶長5年以後は須佐の益田氏を中心とした年表を作成して日本全体の歴史上の出来事と対比させました。 そして幕藩体制が崩壊した明治維新以後は益田氏に代わって山口県の歴史と須佐の歴史を対比させた年表を作ることにしました。 須佐の歴史を理解する上で少しでもお役に立てば幸いです。

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