東京須佐史談会第100会例会記念特別行事
須佐郷土史研究会との交流会
須佐帰省旅行のご報告
平成20年9月11〜12日

平成20年9月11~12日の両日、東京須佐史談会会員9名が打ち揃って須佐へ帰郷しました。この旅行は平成9年(1997)5月に会が始めて以来催してきた例会が今年の12月に第100回目を迎えるのを記念して、 一同で須佐を訪問しようという事になったものです。
これまで私達は須佐郷土史研究会と密接な協力関係の下で研究活動を続けて参りましたが、東西に離れていますと、ともすれば一体感が薄れ勝ちです。現在はWEBの時代ですから通信によって 距離の観念は存在しなくなったのですが、高齢者が多い私達の会ではそう上手くは行きません。そこで、相互に一層緊密な関係を築き上げるためには直接お互いが顔を合わせるに如かずという事になりました。

須佐公民館にて

9月11日09:30頃、萩・石見空港からバスで須佐駅前に到着すると、萩市須佐総合事務所のご好意で車2台のお出迎えを受け、直ちに役所へ直行しました。そして和田所長から須佐の現状と将来の展望について ブリーフィングを受けました。須佐は島根県側の益田市の経済圏に入るが、隣の田万川町と協力して萩市東部の地域開発に腐心しているとのお話がありました。

続いて11:00から昼食を挟んで公民館で須佐郷土史研究会の皆様8名と交流会が開かれました。久し振りの邂逅を果たした人もあれば初めて顔を合わす方も多く、最初は和やかな中にも少し緊張した雰囲気の中で 先ず伊藤会長から心温まる歓迎のお言葉がありました。これに応えて、首都圏側からは末永く須佐郷土史研究会と一体になって活動しましょう。須佐の為ならば応援団として協力を惜しみませんとエールを交換しました。 参加者一人一人が思い思いに自己紹介をしましたが、なんと言っても同郷人同士です。忽ち意気投合して話が弾みました。席上、伊藤家文書の中から元治元年六月付の「京都御進発御備組」と題する陳場奉行の記録写が 参加者に配られました。これは蛤御門の変の時、益田親施が京都へ登るときに引き連れた軍勢600人の内の須佐兵約300名の名簿です。私達が読解した「随行日記」(「温故」第18号)に関連する貴重な史料で、 筆者も同じ波田兼明(与市)と思われます。そのほか、この日の参加者名簿、2日間の日程表、訪問予定の名所旧跡の説明書など、隅々まで行き届いた細やかなご配慮をして下さった事を知り訪問者一同深く感銘致しました。

松崎八満宮にて記念撮影

午後は暑い日差しの中を役所の吉田、前田、勝間田の3氏と伊藤会長、西村先生はじめ須佐郷土史研究会の皆様方が史跡を中心にして須佐市中を御案内下さいました。公民館から大薀寺に向かう途上、 本町通りの一つ北側の歴史保存地区を歩いて探訪しました。西村先生が大谷家の珍しい「しだれ赤松」(市指定文化財)や須佐最古の瓦が載っている土塀などの説明をされ聞き入りました。大薀寺では我々のために 「釈迦涅槃像」(同、桃山時代作)やその他の寺宝が本堂に展示されていました。梵鐘や梅と松が一体になった珍しい庭木を見聞することが出来ました。松崎天満宮に参詣し鳥居の前で記念撮影。 益田家が参勤交代の度に奉献したという石灯籠の列を見て参道から本町通りに出ると、その交差点には江戸時代は木戸があったそうです。昨年新築なったピカピカの母校育英小学校を訪問。子供達が運動会の為に 「よさこい踊り」の練習をしている運動場の端に「育英館門」を見て笠松神社に参詣。社殿は可成り傷んでいますが、彫刻が施された細かい造作に益田親施が切腹した当時、人々の領主に対する敬愛の情と 須佐の匠の技を感じました。鳥居には元治四年と彫られていて「慶応」の年号使用を拒否した長州侍の魂を見ることができました。そして須佐歴史民俗資料館に到着しました。玄関には麦茶が用意されていて、 炎天下歩行して乾いた喉を潤しました。ご配慮有り難う。館内に展示された様々な展示物について西村先生が詳しく説明して下さり、唐津古窯跡の発掘については専門家の伊藤会長が解説されました。この日、 最後に訪れたのが益田家墓所でした。綺麗に掃除された墓所に立って、「これは誰かが我々の訪問の前に清掃されたのではないか」と感じましたのでお尋ねしましたら、 案の定伊藤会長が御自分で除草して清掃されたそうです。暖かい細やかなお心遣いに又々一同深い感動を覚えました。「おとうの鼻」の宝篋印塔の説明を聞いて初めて地名の由来が判った人もありました。

夜は我々の宿舎、好月旅館の離れの宴会場で須佐郷土史研究会の有志の皆様と交歓会が催されました。昼間の感動の続きで、酒と美味しい「男命イカ」の活き造りなど海の幸を頂きながら話が一層弾みました。 宴の最中に片山さんのご親戚が釣れたばかりのカサゴをクーラー一杯にして持ち込まれたので、それを料理して頂きました。片山さんは西村先生の教え子で先生は大変再会を喜ばれました。伊藤会長と西村先生に ホームページをご披露して、私達は常々須佐郷土史研究会と一体になって活動したいと念願しており、このHPはその具体的なアクションの一つであることを説明しました。共同でHPを造って行く為の体制造りをしよう と話し合いました。

2日目は「コミュニティ須佐」の皆様のご好意で須佐・弥富の名所旧跡を訪ねることになりました。須佐に生まれ育ったとは言いながら、少年時代は須佐の歴史に関心があったわけでもない人が多く、 訪れた先々で「須佐にはこんなに素晴らしい名所旧跡があるのか」と改めて感じる人が多かった様です。この日も伊藤、西村の両氏にご案内を頂き暑い中、2日間の強行軍で大変お疲れであったろうと思います。 09:00須佐駅前を車で出発し、先ず蟶潟の鏡山神社(浄蔵貴所)を訪れました。その後、法隆寺(久原家墓、露兵漂着祈念碑)、久原波戸場、唐人墓、ホルンフェルス、高山(磁石石)を案内して頂きました。 午後は須佐大橋経由弥富に向かい、「一万のはな」、全柳寺、道永の瀧、畳ヶ淵、須佐唐津窯などを探訪しました。道永の瀧、畳ヶ淵には初めて訪れた人が多かったようです。フォルンフェルスの外に、 須佐にはこんなに沢山観光資源がある事を実感しました。しかし、より多くの観光客を引きつけるためには、案内板・道標が不足しているし除草・清掃が行き届いておらず折角の観光資源が活かされていない 印象を受けたのも又事実です。一層の官民の努力が必要だと思いました。

左=道永の瀧、右上=畳ヶ淵、右下=唐人墓

2日目の夜は「男命イカ」で有名な須佐駅前の「梅之葉」で「コミュニティ須佐」の皆様と情報交換会が催されました。2日間の大変短い滞在期間でしたが、過疎化と高齢化に悩む須佐を何とかして盛り上げて 行こうという人々との交流が実現し、今後の協力関係の礎が築けたのではないかと思います。その意味で、今回の旅の目的は十分に果たせたものと思います。最後に、お世話になった全ての須佐の皆様に厚く厚く 御礼を申し上げます。

(平成20年9月  栗山 記)