古文書を読む(増野家文書)

『鸚鵡の言乃葉』

整理番号:「13袋4」
TOP PAGEへ 前頁へ戻る
xxxxxxx
 解 題

増野虎発のこと

 虎八、勝虎ともいい、後に栗山半左衛門勝安の中継ぎ養子になりました。彼の文学修業や養子縁組の話はホームページで紹介しました。
 この写本は天明八年ですから十九歳のときです。どこで書いたものでしょうか。次男ですから冷や飯と呼ばれた頃ですが、勉強のために江戸へ連れていかれたときもあって写したものか、 それとも萩でしょうか。それから半年後に筑前へ文学修業に出かけます。その願書には三年の間と書かれています。
 子供の頃から四書五経は学問の手本ですが、将来において益田家を担う若者として、この写本などに多く心に感じたものがあったように思われます。前途洋々、 改めて意気に燃えるものがあったのか、それで「虎発」と書いたのではないかと考えます。いまの世において、見過ごすことの出来ないことがあまりにも多く、 為政者たちもいま一度読んでもらいたいと思う本です。

松平定信の著作のこと

 織田信長のように、泥棒からでも情報を得ようとした時代と違って、確立した身分制の時代に、いかに地下のことを知っているとはいえ限界があったのです。 貧乏な侍よりもおいしい魚を食べていた庶民もいましたが、多くは貧しく、かれらの心を理解できたでしょうか。
 「ふと書写に心をかけ、三とせのうちに四百五十巻あまりに成りける」とあります。たくさんの著作を遺しておりますが、わたしたちが読むことができるのはわずかです。 名著「花月草紙」「宇下人言」「退閑雑記」など美しい文章に接することが出来ます。「宇下人言」という題名は「定信」を分解すればこうなるという意味だそうです。 「国本論」という写本もあります。次月に紹介しましょう。

城一 昭人

 読 解

こちらをクリックして下さい。 → PDF FILE です。

Copyright(C)須佐郷土史研究会