古文書を読む(増野家文書)

公儀より御沙汰之覚

整理番号:「6袋1−12」(無題)
「12袋5」(北浦へ異国船)

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 解 題

 享保十一年八月七日はいまの九月二日です。この日、唐船が須佐湾に入ってきて砲撃され、沈んだ事件がありました。日本海には朝鮮の船や唐船が多く漂流しました。 日本は鎖国でしたが「信牌」を持っているものは貿易を許されていました。八幡船(ばばんせん)や乱暴者も多くいました。それらの船が故障して漂い、九州から島根県の方まで漂着しました。  国から萩藩から度々注意をうながす知らせがやってきましたが、どのように対処していたのでしょうか。「増野家文書」から紹介します。

 この事件では信牌は偽物だったとしていますが、まず打ち払いが先だったのでしょうか。「温故8号」でかなり全容を知ることが出来ますが、 唐船の不審な行動も理解出来ない謎の多い事件だと思われます。この古文書もありますので、後日全容を紹介します。  船が須佐沖に現れたらどうしたのでしょうか。まず言葉がわかりません。そこでかねて用意してある紙面を渡して答えを貰い、信牌なども調べました。 次ぎに掲げたのは萩藩から渡された書付です。これを見せて対処せよというのです。漢字の国同士ですから字を見るだけで意志が通じます。 これを江崎・須佐・宇田・木与の四つの浦に渡しておきました。それは紐をかけた杉の箱に納められ、さらに袋に入れておくという厳重な取り扱いをするものでした。

 解読文は示しませんが、意味はおわかりになるでしょう。

不知何国客欲何往如欲往長崎暫収
入山陰港内以避風濤此国往 有漂
流客我必用大船及小舟導施入長崎
而不取其報償速其随我収入矣


人員幾個
士商之分如何
船中奉宗何等仏
船中装載何等物
船長闊幾丈
貞享五年(1688)

城 一  昭 人


 読解文

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