リレー随筆

65歳の私を振り返って
片山 繁子
2010年2月

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 私が年老いた父の反対を押し切って故郷須佐を後にしたのは18才の時。須佐での18年間は最高! 14人もの大家族の中での生活のことを思い出します。

 それは当時、母と義姉がお産を競い、次から次へと子供が増え、甥だの姪だのが、一つ屋根の下で生活する珍しい家族関係でした。この大家族のどさくさに紛れ、日々賑やかに育ったものです。 なにしろ家族全員の朝・夕の食事に一日二升の麦御飯を竈で薪を燃やして炊いている父の姿が目に焼きついています。食欲旺盛の兄達がずらりと並ぶ、食卓に一寸遅れようものなら「おひつ」は空っぽ。 夕飯には魚まな板にのらない一匹の大きな「しいら」や「ひらまさ」を母が出刃包丁で格闘しながら作ったそのさしみが最高! 幸い食の細い私はストレスも無く健やかに育ちました。

 海のそばで育った私は泳いで遊ぶよりも、大家族の事を思い「さざえ」、「ひじき」、「わかめ」をせっせと採っていたものです。あの頃の須佐の海では引き潮で浅くなった岩の割れ目を手で探れば、 簡単にさざえが取れる程豊かな海だったと思います。

 それから40数年、三食昼寝付のサラリーマンと結婚し、子育てからも解放され、現在はコーラス三昧で、気が付けば29年も歌っていました。その間、台湾まで行きコンサートでモーツアルトの「レクイエム」 に挑戦してきました。又、5年前東京須佐史談会に入会して、大先輩方から古文書解読の御指導を受けていますが、全く学習効果のない落ちこぼれの私に優しく手を差し伸べて下さり、 素晴らしい出会いに幸せを感じている今日この頃です。

 「リレー随筆」来月は勝山義康さんに御願いします。

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