リレー随筆

須佐中学新生の頃
ー小学校の講堂の中にあった新制中学校ー
高嶋 宏子
平成22年10月

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終戦後6・3制の実施により私達の学年から新制中学入学が義務づけられた。育英小学校の講堂の内部を板で仕切って1年生4クラスが入った。

高い舞台上が職員室。フロアの両側に2つづつの計4教室。中央部が集会スペースになり、全員正座して話を聞き、英語劇や舞踊を見たりした。天井はつつぬけであったが あまり気になった思いもない。

1年後、小学校の正門前の青年学校のあたりに新しい校舎が建てられた。運動場は御霊社(ごれいしゃ)前の広場で、はじめて見るヘリコプターが着陸したことがあり生徒全員遠巻きで眺めた記憶がある。

校長は高津壱熊先生。教頭は体育の斉藤先生、図工は「ウンちゃん」こと松原先生。史談会生みの親松尾龍先生。先生の歴史の授業はお話が幅広く、深く、面白く、なかなか先へ進まなかった。 英語の、すてきな金田先生。ひょう/\とした早川先生、日高先生、山中先生、宮内先生、仁保先生、尾木先生、高橋先生、近藤先生…。卒業後に不思議な魅力を発揮していらっしゃる堀野先生。 多士済々(!)の先生方だったと今になって思う。思い返すと活気に満ちあふれた時代だった。

十数年前に訪ねた中学は場所も変り、往年の面影は全くなく、隔世の感を抱いたものだった。

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 来月は竹内様にご寄稿を御願いします。
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