リレー随筆

須佐の祭り〜夏と秋
松原  薫
平成26年4月1日

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 須佐の松崎八幡宮では夏と秋、年2回の祭りがあったと記憶している。物心の付く3〜4歳から小学生低学年の頃の私の思い出について綴りたい。

 夏の祭りは暑い盛りの7月末、丁度学校も夏休みに入って数日たった頃始まる。
 松崎八幡宮には須佐川右岸から直角に延びる広い参道が有り、本殿に登る石段にぶつかる。その中程で本町筋が交差し、本殿に向かって左側には低い石垣があり右側には小川が流れていた。石垣の上と小川の畔には松の老木が鬱蒼と茂り、幹を連ねる。又、参道両脇には一定間隔で石灯籠が並んでいた。夏は日陰を作り涼しく、小川沿いには夜、蛍も明滅する趣のある風景であった。

 私は祭りの準備に入る町の様子を眺めて歩くのが好きだった。
 参道の両側には金魚すくい、水風船、綿菓子、玩具屋等の屋台がびっしりと並び始め、松原の大通りバス車庫あたりでは祇園車の組立ても完成に近い。夕方になると本町筋の各家は通りに面する座敷を開け放ち、 きれいに掃除して、畳の上に涼しげな花行灯を灯す。通りには浴衣姿に団扇を持った人たちが徐々に増え始める。

 いよいよ祇園祭の始まりである。

 祇園車(山車)は本町(上中下)、浦(西中東)の各3基、それに中津を加え全部で7基くらいあったであろうか。山車の上には人が乗り太鼓を鳴らし笛を吹く(三味線も弾いていたか)。屈強な男たちがお神酒で顔を赤くして山車を転がし、本町筋を上下に練り歩く。始めは大人しいが、その内徐々に荒っぽくなり車と車がすれ違うときは勢いをつけて衝突し合うようになる。見物人も通りにあふれ、遠巻きにはやし立てる。そうこうしながら車は中津を過ぎ、港橋を渡り浜の大通りに到着する。
 そしてクライマックスは八幡宮を出た神輿も到着し提灯で綺麗に飾られた伝馬船に乗せられ湾の中央に浮かぶ弁天島に向け漕ぎ出す。それが花火の打ち上げ合図となる。 これは港祭りとも呼ばれていたと思うが、或いは連続したそれぞれ二つの祭りがあったのか。(なにぶん半世紀も前のことでもあり忘れてしまった。・・)

 私が3〜4歳の頃のことであったと思う。浜には波打ち際から海の上に竹と木で組んだ屋台(レストラン)がありジュース、かき氷などを売っていた。かなりの人が入り、随分にぎわっていたと思う。 軒や張り綱には赤、青、橙色の裸電球が吊るされ、夜の闇に滲んでいた。丸太に腰掛け、規則的に寄せては返す波の音を聞きながら、その後どうやって帰宅したのかまったく覚えていないのである。

 秋の祭りでは蛇舞が上演された。

 少し肌寒くなってくる9月下旬頃だったと思う。本殿石段を降りた右側の石垣の上の神楽殿で上演される石見神楽(蛇舞と言っていた)。これも参道には屋台が出て、なかなか賑やかなものであった。未だ日の落ちない明るいうちから、隣の親戚の子供と誘い合って二人で神楽殿の前列特等席を占拠した。
 私の実家は大薀寺の下にあり、八幡宮とは非常に近く、本当に小さいときから見物していた。
 笛が鳴り太鼓が叩かれ、演目は序の口のひょっとこおかめの舞から始まり、夕闇が拡がり提灯・石灯籠に火が灯る頃、客足もどんどん増えてくる。それに従い、登場人物も格が上がっていく。 終演一つ前であったか? 白い大きなお面の正義の味方(天皇か?)が幕の切れ目から現れる。宝玉をちりばめた美しい着物を羽織り、反った日本刀を振りながら神楽殿をくるくる舞い始める。
 笛・太鼓の調子も変わり、大きく円を描いて命は舞台を舞う。一通り舞ったところへ突然天井裏から化け狐が飛び降りてくる。白いお面はくぐもった声で狐を威圧し、数合切り結びながら舞いまわる。 化け狐、たまらず観客で埋まる参道へ飛び逃げる。悲鳴を上げ左右に割れる観客。神楽殿床面と参道ではおそらく大人の目の高さくらい段差がある。よく誰も怪我しなかったものである。
 追う白い大きなお面。化け狐、ねずみ花火を投げ応戦する。辺り一面、はね回るねずみ花火の炸裂音に満たされる。
 最後は夜も更けた頃、須佐之男命の登場となる。命の舞の最中、舞台周辺から観客で埋まる参道までドライアイスの霧に包まれる。そんな中、忽然と参道奥に大蛇がとぐろを巻いて現れる。 八つの頭を持ち、禍々しく口が裂け上がり、牙の間から赤い火の粉を噴射する。
 八岐大蛇は頭を振りながら石垣を越え舞台に這い上がってくる。命は勇敢にも大蛇の真ん中に突き進み、もみ合ううち手に高々と大蛇の首を掲げ揚げる。命の勝利で蛇舞は終了となる。
 感激は冷め遣らず、翌日、二人で誰も居ない神楽殿に上がった。口で笛を吹き、太鼓を鳴らす。刀を振り回しながら時々立ち止まり、命の口上を真似、神楽殿の床板を踏み鳴らしながら舞いまわっていた。

 夏になると、今でも二つの祭りのことが瞼に浮んでくる。

 長州北浦海岸の小さな城下町須佐の祭り。忘れられない大切な私の思い出である。

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