リレー随筆

高山の思いで
勝山 義康
平成22年03月

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山といえば、日本では「富士山」、萩では「指月山」と、それぞれの地域を代表(象徴)する山がある様に、我が故郷にも立派な誇れる山があります。須佐に来て誰もが先ず、 目に映る景色が高山(標高533M)でしょう。普段は下からしか眺められない高山を上から眺めたいと期待して飛行機で帰省しても、高山のはるか手前、しかも低空で石見空港へ着陸してしまいます。 もう少し北浦の海岸上空を回遊して、須佐湾に浮かぶ高山を眺めて萩・石見空港へ着陸して欲しいと想うのは私だけでしようか。 ‥‥利用客の増員になるのになあ〜?

さて、この高山の中腹には黄帝社があります。毎年5月1日には「コウティサマ」のお祭りが催され、ばあちゃんの握った「ワカメむすび」を持って近所の連中と連れだって途中、 寄り道しながら1日掛かりでお参りしたものでした。10歳位だった当事は境内で漁師の兄ちゃん連の相撲大会等があって、かなりの賑わいだったように記憶しています。 (国の重要文化財の奉納船絵馬があるとも知らず)聞くところによれば、近年では「コウティサマ」のお祭りは黄帝杜に参らず漁業会の近くに祭壇を設けて、催されているとの事。 ‥‥‥残念‥‥…

また、高山といえば「斑レイ岩」で全国に知れ渡っていましたが、ここ何十年かは環境保全等により採掘は禁止されたと聞き及んでいます。その前地の地区で1971年に2000万年前の 「うみがめ」の化石が9個発見され、この採石現場が中村組さんの現場だと聞き、高山の石に関わる話を思い出しました。

私の家は祖父の代から土建業を生業としていましたので、この前地地区の石山は、よく知っていました。この石は河川の護岸、及び道路や崖の要壁等の組石の材料に使用していました。 当時はセメントブロックがまだ無い時代だったので、高山の貴重な石を採掘していたわけです。勿論採石現場は私有地です。私が10歳前後の頃でしたか、父に連れられて当時の単車 (ホンダのべンリー号だったと思う)の後に乗っかり、採石現場のトロッコでよく遊んでいました。また、私が高校に進学し汽車通学の頃、この採石場で使用する「ハッパの雷管」や、 その「導火線」を萩の火薬店で受け取り持ち帰る手伝いをしていました。今にして思えば、随分と危険な手伝いをしていたんだなと思いますが、当時は何の躊躇もなく誰にも悟られず用足しができていました。

ところで、五郎太石事件のぐり石は兎も角、石垣本体の石は指月山界隈で賄えたのだろうか。今回のリレー随想は、高山に関わる話でした。

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