随 筆
相撲のことあれこれ
近藤 安弘
平成22年7月


 池袋で開業医だった叔父が時津風部屋の医者もやっていた関係で、双葉さん(時津風親方)の息子T君の家庭教師になったのは55年も昔のことです。 相撲と言えば、テニス遠征の折りに防府天満宮の天幕の破れ目から潜り込んで白い照國と褐色の羽黒岩の一番を観たぐらいで、横綱の次さえ判らない田舎学生だったのです。

 双葉山の69連勝は有名ですが、その頃は初・夏の年2場所制でそれも一場所11日・13日興業の時代です。そのなかで昭和11年から14年に掛けて築いた69連勝ですから、 一年90番を取る今日の69連勝とは比較にならないと思います。

 さて、円形の旧国技館の近くの「時津風相撲道場」を訪ねた時のことです。広い玄関、広い廊下、何もかもが大作りで、住んでいる人間まで大きい。こりゃあ魂消ました。 親方の部屋へ通されましたが三十畳くらいはあったと思います。神棚と長火鉢だけで床の間に何があったか迄は覚えていませんが、親方がそこに座っているだけで絵をみているようでした。 おかみさんと、下働きのねえやを除けば「大男国」の世界です。

 家庭教師の仕事は皆さんの体験と殆ど変わりませんので、以下繁芟するとして、その後、妹のHちゃんの家庭教師まで仰せつかることになりました。 このお陰で貧乏学生が卒業までの学資を貯め込むことができたことは、双葉さんに感謝感謝です。

 勉強が一段落するとT君の案内で道場の見物をしました。関取の部屋には「定員鬼三匹」などと札が下げられていました。土俵の傍らの八十畳はあろうと思われる大広間は、今流に申せば多目的ホールで、 祝勝会の会場にもなれば、夜は若い者の寝室にもなります。十両優勝した鬼龍川さんとは医院で面識があって、ちゃんこを馳走になりましたが盛られた量の多さにはびっくりしました。 その後、家庭教師として週二回の出入りを続けるうちに鏡さんや大内さん、出稽古にきている鶴ヶ峰さんとも話をするようになりました。 T君や「きんちゃん」と砂かぶりで結びの一・二番を見たことも度々でした。「なとりのおっちゃん」には珍味を頂いたり、会社の屋上から裏の隅田川の花火を見せて頂いたりしました。 会社勤めが始まって、得意先のお偉い方から「どうして東富士と親しいのか」と問われて、五年来の「きんちゃん」が東富士だったことを初め知りました。お陰でその得意先には可愛がって貰いました。

 最近の相撲は、国技とは言うものの幕内力士の40%くらい、それも上位を外国出身の力士が占めています。防長倶楽部で当時・放駒(元魁傑)審判部長の講演があったときに、 「打倒双葉山で各部屋がこぞって作戦をこらした歴史があるのに、今日、打倒朝青龍作戦はないのか」と訊ねましたが、年6場所の本割りで15日・90番を勤める今日では 「御身大切で怪我をしない」風潮があることを嘆いて居られました。国技がショウになっていると考えるのは私だけでしょうか。

 最近のホットニュースと言えば、須佐から「大翔灘」(追手風部屋)の登場です。18歳、稽古は最大の防御といいます。体を鍛えて鉄人・大翔灘に育つよう、行く末を見守っていきたいと思います。 序の口東16枚目は、4勝3敗でスタートです。

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来月は佐藤省吾様にご寄稿を御願いします。
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